宇宙船の入手エピソード

「UFO」町おこしきっかけは?

高野誠鮮インタビュー

元々は、町おこしのために「羽咋ギネスブック」というのを青年団と一緒に作っていたんです。その過程で羽咋の歴史を調べていると奇妙なことが書かれた古文書を見つけました。その昔、羽咋には「そうはちぼん」と呼ばれる謎の飛行物体が頻繁に目撃されていたと。
実は「そうはちぼん」とは、日蓮宗で使われるシンバルのような仏具のことなんです。その形はまるで鍋のフタのようなんですね。「これってUFOのことじゃないか!?」と、鳥肌が立ちましたよ。
「これは町おこしに使える!」と思いまして、賛同してくれるメンバーを何人か集めて、「羽咋ミステリークラブ」というUFO町おこし団体を作ったのが始まりでした。

UFOグルメで地域活性化

高野誠鮮インタビュー

地元住民からは、最初はやはり猛反対にあいましたよ(笑)。
実は、UFOの町のグルメを作ろうという企画を考えていたんですが、たまたま企画メンバーの一人の実家がうどん屋だったんです。そこで、そこのご主人、つまりメンバーの父親に「UFOうどん」を作ってくれと頼んでもらったんですが、「のれんに傷がつく。末代までの恥だ。」と猛反対されました。
しかし、どうしても諦めきれなかったので、そこのご主人が留守のとき、息子が代わりに店に出ている日に、こっそりUFOうどんを作ってもらうことにしたんです。その日に合わせて、「週刊プレイボーイ」の記者に東京から来てもらいました。「特ダネがあるから来てくれ」と。
その記者をうどん屋に連れて行き、記者の前には一杯のうどんがドンと置かれます。うどんの上には三角に切った油揚げと、その下に半円のナルトが2つ乗っています。もちろんこれ、UFOです。
記者は不思議そうな顔で、「これ、なんですか?」と聞くわけです。
「これが特ダネです。月夜の晩に、UFOが着陸したところを表したUFOうどんです。羽咋にしかありません。」と私は答えました。
記者は腕を組み、ぎゅっと目をつぶりました。周りのメンバーは緊張で声も出ません。
そして、記者はカッと目を見開いてこう言いました。
「おもしろいじゃない。これ」
乗ってくれたんです!後日、彼は記事を書いてくれました。私たちが提供したのは「UFOうどん」と「そうはちぼん伝説」だけなのに、いろいろ膨らませて6ページも書いてくれたんです。
その後、うどん屋にはこんな客が来るようになりました。
「UFOうどんが食べられる店はここですか?」
何も知らないうどん屋の親父は何のことかさっぱりでしたが、その客がスッと差し出した週刊プレイボーイには、何と息子が写っています。しかもUFOうどんを「どうぞ」と笑顔で差し出しているわけです(笑)。
親父はカンカンに怒って息子を問い詰めましたが、客を追い返すわけにはいかなかったので、しぶしぶ息子にUFOうどんを作らせたんです。それが立て続けに、富山、福井、京都、長野、いろんなところから客が来て、ひと月で600杯も出てしまったんです。田舎のうどん屋で600杯となると、文句なしの大ヒット商品です。さすがに親父も認めざるをえませんでした。
その話が、近くのラーメン屋に飛び火して、「あそこがUFOうどんで儲けているらしい。ならウチはUFOラーメンだ!」となるわけです。さらに、「ならウチはUFOケーキだ!」「ウチはUFOお好み焼きだ!」と、どんどん広がっていき、しまいには「出るか出ないかわからない。パチンコパーラーUFO」なんてわけのわからないことを始める店まで出てきたんです。
こうして、「羽咋市はUFOの町」というのが徐々に定着していきました。

宇宙とUFO国際シンポジウム ~マスコミ作戦で予算化~

高野誠鮮インタビュー

NASAの宇宙飛行士やソ連の科学者らを呼んで、UFO国際会議を開きたいと考えていたんです。しかし、当時の私は臨時職員という扱いだったので、予算は一切ついていませんでした。それでも羽咋の商店がUFOで活気づいていたので、ある市議会議員さんが、
「君たち、よく頑張ってるな。今度の定例議会で質問してやるよ。」
と言ってくれました。このチャンスを逃してはいけないと思いました。そこで、
「ついにUFOに市民権獲得! ○月○日○時より羽咋市議会定例議会」
というFAXをマスコミに流しました。すると、いつもはほとんど無人の傍聴席が満員になり、テレビカメラも2台入りました。そして先の議員さんが、
「町が青年たちの活動によってにぎやかになった。行政は何もしないのか?」
と質問しました。すると市長が、緊張した様子で、
「そろそろてこ入れしようと思っています。来年には予算化します。」
と言ったんですよ!マスコミ効果は絶大です。翌年、市長は約束を守り、「UFO国際会議」に500万円の予算がつきました。

宇宙とUFO国際シンポジウム ~資金集めと挫折~

高野誠鮮インタビュー

しかし、予算がついたものの、そこから企画がどんどん膨らんでいってしまったんです。「ソ連の軍人も呼ぼう」、「NASAから月の石や宇宙服を借りよう」、「コンサートや演劇もやろう」など、次から次へとプランが出てきて、トータルで6000万円かかることに気がついたんです。
それでも残り5500万円くらいなら、まぁ何とかなるんじゃないかと思っていました。そこで、メンバー8人を連れて東京へ行き、協賛金を募りに一部上場企業20社以上を手分けして回りました。
真っ先に行ったのは「日清焼そばU.F.O.」の日清食品でした。UFOのイベントならお金を出してくれると思ったんですね。応接室に通され、日清食品の広報部長に、手土産の「UFOまんじゅう」と「宇宙とUFOの国際会議趣意書 希望協賛金額1000万円」と記したB4用紙を渡しました。すると、広報部長を「はーっ」とため息をつき、分厚い書類を持ってきて私たちの前にドンと置きました。
「高野さん、これ歌手の○○の日清提供のコンサートの企画書。4000万円のイベントでした。1000万円のイベントならせめてこの4分の1の厚さがあってもいいんですよ。役員はこれを読んで全員はんこを押しました。中を見ると、日清が4000万円出すだけの価値があることが分かるようになっているでしょう? それをあなたたちは、紙切れ1枚とまんじゅうだけ持ってきて1000万円出せと。総会屋でもしないことを自分たちがやっているのが、おわかりになりますか?」
顔から火が出る思いでした。イベントの企画書なんてそれまで手掛けたことがなかったので、市長の名前とはんこのついた趣意書があれば1000万円くらいくれるだろうと勘違いしていたんです。
私たちは広報部長に頭を下げ、広告代理店が作ったという企画書を見せてもらい、「禁複写」と書いてありましたが、システム手帳に空いた部分がないほど要点を全部書き写しました。
手分けして企業を周っていた他の仲間も、もちろん誰1人収穫はなく、帰りに「日清焼そばU.F.O.」をもらった私たちが一番マシでした。

羽咋に帰ってから、企画書を作り直しました。そして「宇宙とUFO国際シンポジウム企画書」を金沢の大手電機メーカーに持っていき説明しました。
すると、
「どこの広告代理店が書かれた企画書ですか? 素晴らしいですね。500万円出します。」
驚きました。企画書がお金に変わったんです。その調子で3ヶ月ほどで4000万円集めることが出来ました。

宇宙とUFO国際シンポジウム ~2万人の町に5万人訪れる~

高野誠鮮インタビュー

平成2年11月17日から25日までの9日間、羽咋市主催の「第1回 宇宙とUFO国際シンポジウム」が開催されました。
そこで、いきなり問題が起こったわけです。実はアポロ11号のバズ・オルドリン宇宙飛行士が来て、講演会を開くことになっていたのに、1週間前になって急に入院してしまい、来られなくなったんです。なので、リタイアした宇宙飛行士が所属している飛行士協会に急遽連絡して、フロリダでバカンスを楽しんでいるというNASAの「スカイラブ4号」の船長、ジェラルド・カー博士に来てもらいました。
暖かいフロリダから羽咋に来たものだから、奥さんは半袖だったんです。「寒くないですか?」と聞いたら、「寒いに決まってるでしょ! あなたのせいよ!」と、睨まれました。
でも、会場のお客さんは本物の宇宙飛行士の講演に満足してくれたようでした。
このシンポジウムは会場運営も全て地元の素人集団で行い、プロのイベント会社や広告代理店は一切使いませんでした。なぜなら我々が失敗しながら覚えることで、何ものにもかえがたいノウハウになってしっかりと残るからです。
電力量が足りなくて停電するなどのトラブルが相次ぎ、順風満帆とはいかなかったものの、9日間で5万人近くの人が集まりました。市内の飲食店や民宿も大盛況でした。最後の日に、開催場所の文化会館の大ホールで、商工会青年部や役所の職員、婦人会や学校の先生、高校生たちがみんな集まって反省会をしたわけです。初めに市長が挨拶をしようとマイクを持ったのですが、声が出ないんです。言葉は出ずに、涙だけが出たんです。その姿を見て課長が泣き、役所の職員や先生たちも抱き合って泣きました。それまで市長も市民も感激して泣いたというイベントはありませんでした。苦労が多かった分だけ喜びがありました。

本物の宇宙船を羽咋に ~UFO&宇宙博物館~

宇宙とUFO国際シンポジウムの大成功で、いよいよUFOの町の拠点になるような施設がほしいという話になりました。そこで、ロケットやUFOに関するものが展示されている博物館を建設するため、旧自治省のリーディングプロジェクトに応募しました。
すると、UFOによる町おこしというコンセプトが「おもしろい!」と採用され、52億6千万円の予算が国から下りました。ほんの小さな可能性でもいろいろなものに手を上げれば、こんな大金が入ってくることもあります。
ただ、いろいろなしがらみがあって、予算の大部分が大ホールや図書館などの建設費になり、用地買収費や取り付け費用なども合わせると、肝心の宇宙とUFOに使えるお金がたったの2億円しか残らなかったんです。
博物館の入り口にには実物大のロケットを置きたかったのですが、レプリカの見積もりをとると、工事費込みで1億6千万円、さらに年間3回のメンテナンスが必要とのこと。海が近い羽咋では潮風の影響で鉄がすぐに錆びてしまうので、塗り替え費用も1回300万円ほど必要と言われました。
まったく予算が足りなかったんですね。

本物の宇宙船を羽咋に ~日本初の本物の博物館~

高野誠鮮インタビュー

 予算の問題が解決しないうちに、アメリカのスミソニアン博物館を参考に見に行きました。そこで学芸員と話しているうちに、「日本の航空宇宙に関わる博物館や科学館はいくつあるか知っていますか?」と聞かれました。私は正確な数字を答えたつもりでしたが、その学芸員は「ゼロだ。日本に博物館は一つもない。」と言うんです。
「上野の国立科学博物館の前にロケットが立っていますが、日本人は鋼鉄のロケットを飛ばすのですか?」
「このスミソニアンのどこに鋼鉄(レプリカ)のロケットがありますか?」
スミソニアンに展示されていたのは、全て本物でした。本物を置いてはじめて、来館者がその迫力を感じとり、感動する。それが博物館の本当の魅力だと言うんです。ハッと気づかされました。
思えば、日本における「博物館」という概念は希薄化しているように感じます。ガラスケースにプラモデルを飾って博物館と言い張るのが当たり前になり、北海道から沖縄まで同じ業者が作った造形模型や実験遊具などが並び、どれも月並みな科学館になっています。これで一体どんな感動が生まれると言うんでしょうか。
私たちは博物館の原点に帰るべきだ。そのためには、本物の宇宙船やロケットが不可欠だと確信しました。

本物の宇宙船を羽咋に ~その月面車、100年貸してください~

本物の宇宙船を置くと決めたものの、どう集めるかが問題です。日本の某展示設計会社の担当者に聞いてみたところ、「本物なんて置けるわけないじゃないですか」と鼻で笑われました。
こうなったら自分で集めてくるしかないので、単身アメリカに渡りました。NASAに頼んで本物の宇宙機材を借りて来ようと思ったんです。NASAの広報部長に頼んで収蔵庫を見せてもらったところ、月面・火星探査機「ルナ・マーズローバー」がありました。借りれるかどうか聞いたところ、「大丈夫だよ」と。さらに月の石もありました。これも貸してあげるよと。そんな調子でいろんなものを借りられることになったわけです。
そして事務所で借用書のようなものに、何年借りたいのか記入する欄があったので、そこに「10 decade」と書き込みました。実はこれ、100年って意味なんです(笑)。「なに馬鹿なこと書きやがって、ふざけた日本人だ。」と大笑いされました。しかしこっちも必死だったので、「香港もイギリスに100年借りられてたんだから、私たちにも100年貸してください!」とわけのわからない理屈で説得しました。すると、NASAのスタッフたちは「こんなことを書くやつは今まで一人もいなかった」と気に入ってくれたんです。そして本当に100年の契約で貸してくれたんです。
博物館の入り口に置く予定だった本物のロケットも、NASAから格安で買うことが出来ました。本体はマグネシウム合金なので全く錆ません。維持管理費もほとんどゼロです。

NASAの次はロシアです。ロシア宇宙局と連絡をとり、宇宙船を買い付ける話をまとめました。しかし、当時は信頼できる国とは言えなかったので、まずはアメリカに運んでもらい、NASAの人間に本物かどうか確かめてもらってから買うことにしました。
ロシアから運ばれた3機、「ヴォストーク宇宙カプセル」、「モルニア通信衛星」、「無人月面探査機ルナ24号」は、間違いなく本物でした。ルナ24号に至っては、世界に1機しか残っていないという大変貴重なものでした。私もNASAのスタッフも興奮気味でしたが、ロシアの連中が差し出した請求書の金額は、事前に電話で話していた金額よりも一桁多いんです。
「どういうことだ!」という話になりましたが、相手は素知らぬフリ。NASAのスタッフは後ろから「絶対に買うべきだ」と耳打ちしてきますが、私は彼らに、
「その金額なら、いらない。ロシアに持って帰ってくれ」と言いました。
そのときのロシア人の目つきが、「お前殺すぞ」と言わんばかりでした。彼らは民間会社の社員を名乗っていましたが、握手をしたときの手のひらの固さが全く違うんですね。普段から操縦桿を握っているような手なんです。間違いなく軍人でした。本当に殺されるかと思いましたよ。
しかし、そのかいあってか、翌朝の再交渉ではこちらが最初に用意した金額で決着がつきました。

宇宙の出島 ~宇宙規模の視点で世界平和~

高野誠鮮インタビュー

コスモアイル羽咋は平成8年7月1日にオープンし、今でも多くの観光客でにぎわっています。
「コスモアイル」とは、“宇宙の出島”という意味です。出島といえば江戸時代、外国人との交流の先進地でした。ならば、羽咋は宇宙人との交流の先進地になろうというわけです。
江戸時代末期、黒船が来航したことをきっかけに、日本人は“世界”を意識し、国内で争っている場合ではないと気づきました。その後日本は一本にまとまり、外国の先進的文化を取り入れ、大きな発展を遂げました。
宇宙規模の視点を持つことができれば、小さな悩みは吹っ飛び、いろんな解決策が湧いてきます。戦争や環境破壊もなくなるかもしれません。そのきっかけを与えてくれるのが、現代の黒船“UFO”ではないでしょうか。
“コスモアイル”という名前には、そんな想いが込められています。

高野誠鮮さんのプロフィール

元テレビ番組の企画・構成作家、科学ライター。
日蓮宗の僧侶、金沢大学非常勤講師等、様々な経歴を持つ。「宇宙科学博物館コスモアイル羽咋」の展示計画や、「神子原米」のブランド化等に関わる。現在は妙成寺の国宝化を目指し、様々な取り組みを行っている。

高野誠鮮
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